大分の乾しいたけは日本一

献上椎茸

大分県の乾しいたけ生産量は国内生産量の約半分を占め、全国一の生産量です。また、今年で64回目を迎えた全国乾椎茸品評会では、50回目の団体優勝をしました。

特に近年は18年連続優勝するなど、まさに生産量・品質ともに日本一を誇る大分県の代表的な特産物です。昭和56年から毎年、天皇家を始め、各皇室に大分県産乾しいたけを献上しています。

大分乾しいたけの特徴

恵まれた気候で発生
大分県は、しいたけ栽培に適した寒暖の差がある一方、気候は温暖で年間降水量も1,500mm(平野部)~3,000mm(山間部)と比較的多く、このため県土の70%には豊かな森林が広がっています。森林にはしいたけの発生しやすい広葉樹があり、特に良質のしいたけが発生する落葉広葉樹のクヌギなどが多く生育しています。こうした恵まれた条件があったことから、昔からしいたけ栽培が盛んに行われてきました。
クヌギ林の道
クヌギを使った原木栽培
大分県椎茸農業協同組合が取り扱う乾しいたけは、すべて原木栽培です。特にクヌギは樹皮が厚く、その皮を破って出てくる椎茸は良質、大型、肉厚、香りがいいものが多く採れます。クヌギを使った原木栽培を将来にわたって継続できるよう、大分県では戦後からクヌギ林の植林に力を入れてきました。現在、県内のクヌギ林面積は約47,000haあり、全国一です。

しいたけ栽培のはじまり

しいたけ栽培の始まりには諸説ありますが、代表的な説の一つとして「源兵衛説」があります。今からおよそ350年前、豊後の国佐伯藩千怒の浦(現大分県津久見市千怒)に、源兵衛という者がいました。家が貧しかった源兵衛は出稼ぎ人となり、大野郡宇目(現佐伯市宇目)に移り炭焼業を細々と営んでいました。あるとき炭焼の為に切っておいた木材に椎茸が自然発生しているのを発見した源兵衛はここから着想を得て、椎茸菌が付着しやすいよう原木にナタで切れ込みを入れる方法を考案します。これが後に250年以上続くナタ目式栽培の始まりだと言われています。 

現在では、研究者たちの努力により開発された「純粋培養種駒法」(椎茸菌を培養した種駒を原木に接種する方法)で栽培されています。

しいたけ栽培の始まりについては、この「源兵衛説」のほか伊豆を発祥とする説や大友宗麟が中国から伝えたとする説等が伝えられています。

椎茸神社

当組合の敷地内には、「椎茸神社」が建っています。この神社は昭和19年、福岡県の香椎宮より御分霊を迎えたもので、建立されたのは、第二次世界大戦中の戦火が烈しくなった頃でした。椎茸原木も全て木炭にしてしまうべきだとの声が高まり、椎茸業界は存続の危機に陥っていました。当時の椎茸組合組長であった月本小策は椎茸業界を守る為椎茸神社を建立し、これで軍部の圧迫を免れた椎茸組合は安泰になったということです。 その後毎年、一月の初入札の日に例大祭を行っています。